【日本の旅】岡山県北にあった少し寂しい金太郎の社

日本の旅

桃太郎推しの岡山県ですが、なんと金太郎ゆかりの地もあります

金太郎の成長した姿とされる坂田金時は、岡山県北で最期を迎えたという伝承があるのです。

正確にはお墓ではなく社ですが、誰でもお参りすることができます。

更に桃太郎と比べて「何をしたのか?」わかりにくい金太郎。

金太郎の正体も考察したいと思います。

金太郎を祀る静かな神社を訪れました

大人になった金太郎は坂田金時と名乗り主に源頼光の家来になります。

源頼光の九州征伐に同行した坂田金時は、美作の国(現在の岡山県勝田郡勝央町)で雪の為足止めされます。

美作の国にしばらく滞在していましたが、重い病にかかり57歳(他説あり)で死去したそうです。

その後村人は金時を剛勇の者とたたえ神社を建てて祀ったそうです。

イメージ的に薄着なので、そのせいで風邪を・・いや流石に大人になったら腹巻だけではないでしょう。

坂田金時の登場する物語の挿絵では、大人になっても裸で力士のように描かれている作品も多いですけどね。

栗柄神社への行き方

JRなら姫新線勝間田駅から徒歩15分ぐらいなので何とか歩ける距離です。

大阪からだと津山市までの高速バスが運行されており、中国勝間田バス停から徒歩でほんの数分です。

近くには町役場や図書館などがありますが、コンビニなどは駅付近にしかありません。

ただ駅周辺には飲食店やスーパーなどもあり、地方の駅にしては周辺は開けている方だと思います。

駅舎も無人駅にしてはモダンでおしゃれでした。

高速道路沿いの細い道を上ります。

案内があるのでわかりやすいです。

細い道なので車では厳しいですし、そもそも駐車場が無いので歩いてください。

小さな社です

桃太郎のモデルを祀る吉備津神社の後に訪れたので一層驚きましたが、かなり小規模な神社です。

売店などはありませんので、おみくじやお守りなどを買う場所もありません・・無人です。

ただ、荒れている様子はなく絵馬なども奉納されていました。地域の方が清掃などキレイにされているのでしょうか。

一応吉備津神社のレポートはこちらに。

伝承の看板

神社の由来についての看板があります。

なぜか眼病にも霊験があるそうです。

やっぱり小さな社です

山の麓にあり、周辺に住宅地はありますが少し寂しい場所です。

高台ですが目の前が高速道路なので、眺望もあまりよくないです。

大阪から144㎞なのがわかります。

近隣に小学校などがあるので金太郎さんが見守ってくれるでしょう・・と言いますか、勝田郡は子育て世代に人気の町らしく、隣の奈義町には岸田総理も視察に来たそうです。

駅周辺は交通量も多く実際住宅地としては人気のようです。

尚、外灯などありませんので、訪れる際は明るい時間にしてください。

また、勝間田駅からのルートには旧出雲街道があり、石畳で趣ある町並みが残っています。

ただお土産物屋さんなどはなく、旧役場など古い建物が並ぶだけです。

もし散策されるなら石畳ですが車道なので注意してください。

まとめ

毎年10月に金時祭りが開催されており、ダンスステージや屋台など様々なイベントやご当地キャラきんとくんも登場するみたいです。

地元の方の話ではコロナ以前はかなり賑やかだったそうです。

詳しくはきんとき祭り勝央町などで検索すると情報があります。

桃太郎だけではなく金太郎まで網羅した岡山県は凄いですが、よほどの金太郎推しでなければこの神社の為だけに訪れるのはちょっと・・。規模が小さい社ですし、周辺にお店もありません。

お車ならそれほど遠くない場所に湯郷温泉やファーマーズマーケット、道の駅などありますので、時間があれば立ち寄ってみるのも良いかもしれません。

坂田金時とは何者だったのか?

昔話だけではなく近年も様々な創作物に登場する金太郎ですが、物語の中では力持ちで熊と相撲したぐらいのエピソードになっています。

それではその後も含めどんな人生を歩んだのでしょうか?

坂田金時の活躍は金太郎と呼ばれた少年時代より、むしろ大人になってからの方が本番と言えるかもしれません。

出身は静岡県(多数異説あり)とされていますが、剛勇を認められ源頼光の家来となり頼光四天王の一人と言われます。

源頼光は藤原道長に仕えた武将で、平家物語にもその名が登場します。

多くの伝承や物語では、頼光四天王の活躍場所は主に京都(平安京)とその周辺です。

1000年の都と言われる京都ですが、平安時代は数々の問題を抱えていました。

実は治安の悪かった京都

都であった京都には日本各地から様々な物、そして人が集まりました。

しかし平安京遷都の時期に朝廷は軍事力を廃止してしまった為、平安時代初期は治安を守る軍隊すらいない状態でした。

更に周辺では群盗と呼ばれる盗賊集団が現れ、都内で強盗などをするようになります。

そこで警察組織として検非違使を創設しますが、全く人手が足らず治安は悪かったと言われています。

疫病に災害

人が集まる事により蔓延するのが疫病です。中国とも交易をしていたので、海外からも病気を持ち込まれるリスクもありました

資料でもインフルエンザなどの流行が確認できますし、天然痘も猛威を振るったとされます。

やがて生まれた百鬼夜行や鬼の伝説

百鬼夜行とは一言で言うと「夜中に街を練り歩く鬼の集団」です。

当時治安が悪かった為、夜中に出歩くと危険だったのがうかがえます。

また疫病対策として当時取れれたのは、現在と同じステイホームとソーシャルディスタンスです。

ウィルスなど発見されていなかった当時は祟りや呪いとも言われましたが、人を介して伝染することはわかっていたのです。

環境の悪化していく京都では、鬼や妖怪の伝説が作られていきます。

実は鬼殺隊だった?武士の登場

平安時代中期になると台頭してくるのが武士で、武力を持った実行部隊として治安維持や紛争で戦うようになります。

ちなみに妖怪退治と言えば陰陽師ですが、実態は内勤の役人だったので現場で戦ったりはしていないと思います。

実際戦ったのは頼光四天王のような武士で、当時の武士の戦いは多くの物語を生んでいきます。

盗賊や周辺勢力との戦いは鬼退治として脚色され、やがて物語になっていったのです。

坂田金時が使えた源頼光も多くの活躍をしたとされ、物語としては酒呑童子や土蜘蛛退治などが特に有名です。

酒呑童子を退治した「童子切安綱」や土蜘蛛を退治した「膝丸」などの刀も有名で、童子切安綱は現在も国宝として国立博物館に所蔵されています。

酒呑童子退治は摂津大江山へ向かい夷賊討伐を行った記録があり、土蜘蛛退治は頼光がマラリアにかかった描写があるのでそのあたりが元ネタかもしれません。

都と周辺にはびこる鬼と、祟りか妖怪かもしれない疫病と戦う武力集団・・正に鬼殺隊ですね。

坂田金時の正体とは?

頼光の物語には家臣団が登場し、渡辺綱を筆頭に頭角を現した人物もいました。

頼光は後の源氏の礎を築いた人物の一人で、異母弟の源頼信は頼朝の祖先です。配下にはかなり武勇に優れた人物がいた事でしょう。

実際のところ坂田金時の実在を怪しむ説はありますが、少なくともモデルとなるような活躍をした人物がいたはずです。

坂田金時名乗る人物がいたのかは定かではありませんが、恐らく何人かのエピソードが合わさり人物像が作られたのではないでしょうか。

ちなみに下毛野公時と呼ばれる人物がモデルとされる説がありますが、18歳で死去しているので色々合致しません。

下毛野公時は藤原道長の家来で相撲が強く優秀だったそうですが、九州で死去したとされるので少なくとも勝央町の金時(享年50代)とは別人と思われます。

源頼光は後の源氏の礎を築いた人物の一人なので、多くの優秀な家臣がいても不思議ではありませんから。

仮説ですがまとめると

坂田金時(もしくは近い名前)と名乗る人物が勝央町で亡くなった。

武勇と人格に優れた人物だったので、地域の人に愛されていた。

やがて都で活躍した坂田金時と同一視された。

そんな感じでしょうか。

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