【日本の旅】桃太郎ゆかりの神社は想像を上回る規模と美しさ

日本の旅

日本の昔話のヒーローで一番に思い浮かぶのが桃太郎。

知名度ナンバーワンと思われる桃太郎は、日本各地にゆかりの地があり桃太郎発祥の地も各地にあります。

今回は桃太郎ゆかりの神社として有名な岡山県の吉備津神社を訪れてみました。

後述しますが吉備津神社と吉備津彦神社は近いですが別の神社です。

国宝の本殿を持つ荘厳な神社

古代に大きな勢力を誇ったとされる吉備の力の片鱗の見える広大な神社で、国宝の本殿以外にも見どころが多く吉備津彦のミコトの伝承に関する物もあります。

麓から山にかけて広がる神社なので、かなり階段が多いです。

さっそく入口付近の駐車場には桃太郎の名前を冠したお店が。

お土産物が充実していますし、お食事もできるようです。

入口

階段を上ると立派な門があります。北随神門と呼ばれ国の重要文化財にしていされています。訪れたのは天気の良い昼間でしたがなかなかの趣、早朝だとかなり荘厳なのではと思います。

広々とした境内

室町時代に完成したとされる現在の本殿は国宝になっています。規模も出雲大社や八坂神社に匹敵する規模です。

境内ではお守り購入したり、おみくじもあります。

有名な回廊

日本有数の長さを誇る回廊があります。全長360m以上あるそうでなかなかゴールが見えません。

途中には三社宮などもあり、すべて立ち寄ると結構時間がかかります。

最後まで歩くと本宮社があり、吉備津彦の命の父母神を祀っているそうです。どうやら桃ではない様子です。

その他の見どころ

本殿や回廊意外にも見どころがあります。

急な階段を上った先に岩山宮があります。上るのが結構大変だったので仙人が現れて伝説の剣を授けてくれそうです(RPGなら)。

馬の像がありますが、かなりシュールなビジュアルです。

撮影禁止だったので写真はありませんが、温羅の首を煮たと言われる御釜殿など他にも見どころはあります。

御釜殿内部は想像よりはより広くなかったです。

その他かなりの数の重要文化財などがあります。

吉備津神社への行き方

電車の場合JR岡山駅から吉備線に乗り、吉備津駅下車して徒歩10分程度です。改札を出て左に進むと参道が見えてきますので、迷うことはないでしょう。

参道は田んぼの中を進む感じなので開放感がありのどかです。

岡山空港からだと鉄道では直行できませんので、可能なら空港でレンタカーを借りてください。渋滞さえなければ30分程で着けますし、大きな無料駐車場もあるので便利です。

空港からレンタカー以外であれば、岡山駅までバスで移動して吉備線に乗ることになります。

岡山空港付近には鉄道の駅がありません。そもそも山の中にありますので、最寄り駅まで10キロぐらいあります。

昔話の桃太郎と歴史

昔話の桃太郎は説明不要だと思いますが、ざっくり言うと桃から産まれた主人公が仲間を連れて鬼を退治する話です。

各地域の桃太郎伝説にはモデルとなった話があり、岡山県版桃太郎のモデルは吉備津彦のミコトとなります。

吉備津彦のミコトの鬼退治

岡山県版桃太郎のモデルの吉備津彦のミコトの鬼退治ですが、短くするとこのような話になります。

「孝霊天皇の皇子であった吉備津彦の命は、将軍となり吉備国の平定にやって来た。吉備を支配していた鬼の温羅を倒して平和をもたらした」

とこんな感じです。

温羅について

鬼のモデルとされる温羅ですが、身長4メートルで赤い髪と髭を持ち変身能力があったとされます。

西国から畿内に運ぶ交易品の強奪をしたり、婦女子を誘拐して食べたりの暴虐で周辺の人々を苦しめたそうです。

もちろんこれは伝承の一つであり、室町時代頃までに成立した話です。

他の伝承では温羅は渡来人であったとされる説があります。

もともと百済(朝鮮半島南西部)の皇子であったが、政争に敗れ渡来して来たとされる説です。

その際大陸より製鉄などのすぐれた技術をもたらし、吉備の国を発展させたそうです。

吉備は古代の中国地方では出雲と並びかなりの勢力を誇っており、現在も残る多数の古墳などからその力が推測されます。

また、古くから製鉄技術も盛んであり、弥生時代後期から製鉄技術が存在したとされる説もあります。

温羅が善人か鬼人かは今となってはわかりませんが、渡来人が高度な技術をもたらした可能性はあります。

鬼の城と言われる鬼ノ城

吉備津神社から車で約30分の所にあるのが鬼ノ城です。日本の100名城にも選ばれている古代山城です。

歴史書に資料などが残っておらず正確な築年は不明ですが、発掘調査によると7世紀後半に築城されたとされています。

吉備津彦の命の吉備征伐を紀元前とする説もあるので、そうなると温羅の居城であったとされる説とは合致しません。

また、大和政権が朝鮮の勢力に対する防衛のために築いたとされる説もあります。

歴史に隠された真実

温羅がどののような人物だったのかまたは実在したのかはわかりませんが、大和政権の勢力拡大に伴なって作られた伝承と推測されます。

他勢力との戦いを鬼退治と脚色して伝える事例は他にも多数あります。

吉備地方に強大な勢力があったのは数ある古墳などからも明らかですし、朝鮮半島などとも交易や文化交流をしていた形跡もあります。

また、古くから製鉄などの技術も優れていました。

残念なのが高い文明を持ちながらそれほど文献が残っていないので、遺構などから推理するしかありません。

日本の古代史に関しては魏志倭人伝ぐらいしか資料がなく、魏志倭人伝自体が精度に疑問があるので考察のネタになっています。

しかし文章としては資料がなくても伝承伝説には元となった史実が隠れていますので、昔話を紐解くことで古代の日本が見えてくるのです。

古代に広大な勢力を誇った吉備の国。

最終的には大和政権に統一されますが、多くの物語が隠されている事でしょう。

天羽々斬剣と天叢雲剣

違う物語ですが、八岐大蛇を退治した時にスサノオのミコトが使用した十握剣(天羽々斬剣)を赤磐市にある石上布都魂神社に祀ったとされる伝承があります(後に奈良の石上神社に移動)。

天羽々斬剣については入手方法は不明確ですが、スサノオのミコトが高天原を追放された時には既に持っていた神剣です。

そして八岐大蛇退治に使用されますが、尻尾を切ろうとした際に何かに当たって欠けたそうです。

そして尻尾を裂いて見つかったとされるのが有名な草薙剣(天叢雲剣)です。

単純に考えると十握剣より草薙の剣の方が強そうです。

極端な推測ですが、大和政権より派遣された武将が中国地方の武将の優れた武器に苦戦した事例があるのかもしれません。

それだけ吉備や出雲の製鉄技術が非常に優れていた、大和から派遣された武将が新しい技術を持ち帰り古い技術は置いてきた。

そんな事実が隠されているのかもしれません。

また後の時代ですが現在の瀬戸内市周辺で、備前長船の名刀と言われる刀鍛冶が栄えました。しかし戦国時代の吉井川の氾濫により多くの技術と人命が失われ、現在はロストテクノロジーになっています。

尚、刀剣そのものは現在も複数残っており、吉備津神社にあったものは現在岡山県立博物館に収蔵されています。

おまけ

吉備津神社の近くに吉備津彦神社があり、昭和の雰囲気漂う桃太郎像があります。

吉備津彦神社は吉備の国が備前、備中、備後に分けられたときに、備前の国一宮(格式の高い神社)として造られたとされています。

二つの神社は同じ山の東(吉備津彦神社)と西側(吉備津神社)にあり、山には吉備津彦のミコトのお墓や数々の遺跡が眠ります。

ついでに行ける距離なので、時間があればお立ち寄りください。

ついでに金太郎もいかが?

物語ヒーローで桃太郎の次に連想するのが金太郎です。

金太郎の終焉の地がなんと岡山県なのです。吉備津神社からはかなり距離がありますが、せっかくなので訪れてみました。

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